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Contents 洋館付き住宅について 洋館付き住宅の魅力 > 世代を超える洋館付き住宅の魅力
 
 
■洋館付き住宅の魅力
 
 
世代を超える洋館付き住宅の魅力
〜街頭藝術 横濱2001ベースキャンプ@K邸レポート〜 
大木 淳
街頭藝術 横濱2001〜商店街の美術〜 ディレクター
よこはま洋館付き住宅を考える会 賛助会員
 
 

■日本人のくらしに光彩を放った洋館付き住宅
 「洋館付き住宅」とは、大正から昭和初期にかけて日本全国に爆発的に普及した住宅の形態だそうだ。可愛らしい三角屋根の一間洋館が一際目立ちつつも、よく見ると全体的には和風の住宅だ。考えてみると、こうした形態の住宅は60年〜70年代前半の私たちの世代では、子どもの頃には町中に沢山見られたものだ。実際、私の生まれ故郷の静岡の(非常に田舎ではあるが)東海道の宿場町である藤枝でも、何人かの友人の実家はこんな家であったなぁと、ちょっぴりノスタルジックな気分にもなってしまう。主にお医者さんや富裕な農家の友人の家(同じ敷地内に建てられた別 宅か、建て増し部分がそうであったと思う。)がこの形態であったと思う。私の地元には小川国夫さんという文筆家の自邸があり、その息子が私の幼稚園から高校までの同級生であったため、よく遊びに行っていた。この家には作家という職業を象徴するようなごつい石の門柱とデコラティブな鉄扉、洋館と和風の落ち着き払った混在具合とともに、ある種の畏怖を感じていたことを今も鮮明に記憶している。(特に洋館部分は書斎になっており、とてつもなく近寄りがたい雰囲気があった。)
 横浜では(私の故郷も含めて全国的に)こうした形態の住宅は確実に減っているらしい。その理由も実際に所有している方々が一番よくご存じであろうし、ここでは敢えて述べるつもりはないが、洋館付き住宅がある時代の日本人のくらしに光彩 を放った記憶と経験は今も色濃く残っており、さらに「よこはま洋館付き住宅を考える会」のような市民の自主的な活動によって新しい価値を見つけつつあることも厳然とした事実であろう。
 前置きが長くなってしまったが、要は、大正から昭和初期にかけての洋館付き住宅は、私たちの世代からさらに若い世代でもおそらく一度は見たことがある、または入ったことがある、もしくは住んでいたという記憶、経験を持つ人は相当数いるであろうということである。これは、18〜20歳前半の若者たちとともに「よこはま洋館付き住宅を考える会」の協力をいただき、横浜都心部の商店街でのアートプロジェクトのためにその宿泊兼作業空間として洋館付き住宅に3週間ほど使わせていただく機会をいただいたことで、私が若者たちとともに感じたことである。


▲K邸の洋館に付けられた和洋折衷の照明傘

■「街頭藝術 横濱2001〜商店街の美術〜」とは
 ここでプロジェクトの紹介を少し…。
 「街頭藝術 横濱2001〜商店街の美術〜」は、昨年11月3日〜11日に横浜都心部の関内地区の商店街を舞台に開催された屋外アートプロジェクトである。同時期に開催された国際現代美術展「横浜トリエンナーレ2001」の関連イベントであり、主催には地元市民団体「横濱まちづくり倶楽部」と伊勢佐木町、馬車道、マリナード地下街、中華街、元町といった横浜の主立った商店街が名を連ね、10組の現代美術作家が街のあちこちで美術作品を展開した。地元商店街と作家の話し合いは幾度となく行われ、双方の努力と協力のもと、プロジェクトは実現している。 このプロジェクトは作家が直接地元商店街と話し合う行為そのものが作品とも云え、そのプロセスを地元の方々と共有していくことに意義がある。そのため作家は横浜に何度も足を運ぶことにもなり、また、作品も横浜の街の景観や人々の行き交う姿に必然的に合わせるようなものとなるため、横浜近郊の作家はまだいいが、遠方からの作家は自然と作業場と宿泊施設が必要になってくる。こうした行為は「アーティスト・イン・レジデンス」という用語にもなっているぐらいで、近年のアートイベントには必要不可欠な要素とも云える。作家だけでなく、プロジェクトに関わるスタッフはそのほとんどが大学生で、最終的には40名ほどが参加するようになった。
 こうした経緯で、横浜市磯子区にある洋館付き住宅「K邸」を、イベント期間も含めて3週間お借りすることとなった。「街頭藝術 横濱2001ベースキャンプ@K邸」の始まりである。

 
▲(左)洋館での作業の様子(右)庭に佇むさとうりさ作品「サトゴシガンRisaCampaignVol.8」

■「おばあちゃんの家に来たみたい」
 K邸は、現在横浜郊外区にお住まいのKさんの生まれ育った家であり、建てられたのは昭和9年、一際目を引く可愛らしい洋館が付いている。かつては目の前が海だったそうで、この辺りでは典型的な郊外型の住宅だそうだ。こうした横浜らしい場を、横浜ならではのアートの拠点として活用するというのも今回のプロジェクトの趣旨にふさわしいと思われた。(実際、Kさんは伊勢佐木町にお店を持っており、この家から通 ってもいたそうだ。その辺り今回のプロジェクトに親近感を持ってもらえた要因だと勝手に思っている。)ここで、スタッフの一人と私が管理人として泊まり込み、人が集まってはチラシの折り込みや事務連絡などの作業を行い、時に作家の何人かが作業のために宿泊したり、時に語り合いと、にぎやかな場となった。
 若者たちがK邸に集まった時、すぐ作業するのも無粋だと思い、とりあえずこれから使わせてもらう家の雰囲気を見てもらうためにしばらく放っておいた。と、ある女の子の第一声…。「おばあちゃんの家に来たみたい」
 その後は、柱をなでたり襖や雨戸を意味無く開け閉めしたり床の間の調度品をいじったり照明の傘をなでまわしたり二階にあがって畳でごろごろしたり縁側から中廊下から茶の間からぐるぐるまわったり洋館の高い天井をぼ〜っと見上げたり、とにかく落ち着かない。落ち着く者は落ち着きすぎて床の間の前で寝ている始末。仕様がないので全員集めて又聞きの知識を披露した。この家は昭和9年に建てられて云々、洋館付き住宅とは云々…。理解したのかしてないのか、興味を持ったと思われる者はさらに家の中をぐるぐる…。最初はこんな感じだった。(もちろん作業はこの後行った。) その後、慣れてくると彼らは(私も含めて)動物と同じで自分が作業しやすい居心地の良い場所を探し始める。ある者はどうしても2階がいいといって掃除をして寝袋を持ち込んだ。(創建当時は2階から眼前の海を一望出来たそうだ。今は住宅が密集して見えない。残念。)表玄関を入ると3畳の前室があるがそこがいいという者もいる。私も洋館を書斎として使わせていただいた。
 K邸には表玄関と建物脇の勝手口があるが、表玄関はお客が来る折りに開放するもので、家族は勝手口から出入りしていたそうだ。実際、表玄関は間口も広く、鍵と芯張棒で開け閉めに手間がかかる。勝手口は鍵一つで大丈夫だ。しかし、敷居が高く上がるのに膝まで足を上げなければならない。にも関わらず、この話をするとスタッフ皆勝手口から出入りするようになった。
 日々の生活は大変なことも多い。縁側伝いの全ての雨戸を(しかも2階も)開け閉めすることなどは大変な労働だ。正直なところ、平日スタッフがいないときなどは、ずっと閉めたままだった。


▲表玄関前室での作業の様子

■洋館付き住宅の思想
 様々なエピソードがあってここでは書ききれないので本題に入る。
 最初に祖母の家に来たように思えた女の子や、部屋の造作や調度に見入る者や、自分の居場所をさがす者たちは、この家に何を感じていたのだろう。もちろん70年以上の年月を経ている建物の造作にも興味があるだろう。この家に住んでいたKさんご夫妻の生活の記憶だろうか。古き良き時代を感じさせるノスタルジックな記憶だろうか。恐らくそれだけではないように思える。彼らが感じていたのは、この家に創建当初からあって今なおその輝きを失っていない意志、思想(拘り)ではないだろうか。この家には、当時の日本人が持つ西洋文化への憧れ、それが洋館付き住宅という形を経て、日々の生活への拘りに発展していった経緯があるように思えてならない。実際、床の間の脇にある付書院の造りや、通 常の日本家屋より大分高い天井、和洋折衷の照明傘のデザイン、洋館の可愛らしさなどの造作から、2階から見える風景まで、一見シンプルだがそこかしこに所有者、設計者、大工の拘りが素人目にもはっきりとわかる。こうした拘りは時代を経てもなお褪せることなく、現代の若者たちにも十分伝わるものだ。 彼らはこんな家に住みたいと云う。雨戸の開け閉めが大変でも、勝手口の敷居が若干高くて、上がるとパンツが見えてもいいと云う。若い今だからこそ住みたいと云う。彼らは洋館付き住宅の持つ意志、思想に、現代の生活にはそぐわない不便さを体験してもなお、明らかに魅力を感じているのだ。こうした若者たちの価値観は、古い住宅を所有している方々とはまた違っているかもしれない。しかし、若者たちは今回の体験で、自分自身の記憶と照らし合わせながら、かつての日本人が持っていた生活に対しての憧れや拘りをしっかりと受け止めたのではないだろうか。その上で、洋館付き住宅での活動や生活を自分自身の生活に新たな価値観として加え、再構築していくだろう。  私自身、今回はアートプロジェクトの一環として、この貴重な体験をさせていただいたが、今後も機会を探して横浜という街と洋館付き住宅というテーマで新しい価値を探ってみたいと考えている。


▲居間での白熱した打ち合わせの様子

■おわりに
 「街頭藝術 横濱2001〜商店街の美術〜」スタッフ一同より、K邸をこのような形で活用するにあたって快くご了解いただいたKさんご夫妻に、また、Kさんご夫妻との仲介をしていただいた「よこはま洋館付き住宅を考える会」の主要メンバーのみなさんに、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 
 
 

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